0 - 1/4mile(402m)加速13.8秒、最高速度153mph(246km/h)。


1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。


イギリスの自動車メーカーであるACカーズと、ルマン優勝経験のあるアメリカ人レーシングドライバーのキャロル・シェルビーが、現役引退後に設立したシェルビー・アメリカンのコラボレーションによるアングロ・アメリカン・スポーツカー。

前方の自動車や歩行者を感知し、追突や衝突の可能性がある場合はドライバーへ警告音を発し、ブレーキ操作がなく追突や衝突の可能性が高い場合は自動でブレーキが作動し被害の軽減を図る装置のこと

あらかじめ設定した車速内で前の車との車間距離を一定に維持しながら追従走行できる機能のこと。メーカーにより名称が異なる

AC コブラの価格・新型情報・グレード諸元 価格.com

車が外側へふくらんだり、内側へ巻き込んだりする挙動を検知して、自動でブレーキをかけたりエンジン出力を制御したりすることで走行を安定させる機能のこと。メーカーにより名称が異なる

1967年Cobra 427 S/Cのカタログ。1966年の途中からエンジンをGalaxie 428cid(7014cc)シングル フォード製4バレルキャブ355ps/5400rpm、58.1kg-m/3200rpmに換装した。そして1967年3月、世界最速のスポーツカーと言われたCobra 427の生産を終了した。427の生産台数は史料によって異なるが、350~400台程度と推察する。台数に関しては参考値として見ていただきたい。
1964年以降、フォードではGT40、マスタングGT350Rでのレース活動に重点を置くようになり、キャロル・シェルビーも深く関わることになる。

2 ; コブラアメ車は迫力があるね

上の2点はフォードが発行する顧客用の情報誌「Ford Times」1965年8月号に掲載された「Cobra 427」の記事。コブラの登場によって、素晴らしいスポーツカーはヨーロッパからやってくる、というスポーツカーファンたちの概念を打ち破った。そして、U.S.ロードレーシング・チャンピオンシップも過去2年獲得したし、GTカーのワールドチャンピオンシップも、前年はフェラーリを破る射程距離内に迫った。Cobra 427の登場によってワールドチャンピオンも夢ではなくなる。との思惑どおり1965年にはGTカーのワールド・マニュファクチャラー・チャンピオンとなっている。

上の2点は1965年に英国のAC Cars社が発行したAC COBRAのカタログ。289cidエンジンを積んだMark IIで、左右オーバーライダーの間に装着されているグリルバー(アメリカではグリルガードと称し35.5ドルのオプションであった)が標準装備された。下側の写真はAC Cars社製ファイバーグラスハードトップを装着したところ。

「シェルビー コブラ 価格」の中古車

1964年2月にシェルビー・アメリカン社から発行された289cidエンジンを積んだCobra Mark IIのスペックとオプショナルパーツの価格表。車両価格は5995ドルでMark Iと同じであった。北米向けMark IIの生産台数は580台と言われる。その内30台ほどにATが積まれたという。

上の3点は1963年11月になって初めて生産された、右ハンドルの289cid(4736cc)280ps/5800rpm、38.6kg-m/4500rpmエンジンを積んだMark II。英国のAC Cars社で発行されたカタログで車名は「AC COBRA」となっている。フェンダーサイドにルーバーが付けられているが、これはAC Cars社で組み立てた130台目から追加されたもので、1963年4月に100台目を生産していることから、ヨーロッパ仕様はすべてルーバー付きで出荷されたであろう。なお、1963年の途中でステアリングがラック&ピニオン式に変更されている。


三樹書房

「COBRA(コブラ)」の名前を自身の開発したクルマに付けるのはキャロル・シェルビーの夢だった。レーシングドライバーであったキャロル・シェルビーが心臓に問題が見つかり、若くして引退したあと、欧州調のアメリカ製高性能スポーツカーを造ろうと決心し、調査研究した結果白羽の矢を立てたのが英国のACエースの車体にアメリカ製V8エンジンを移植することであった。最初はシボレーのスモールブロックV8を手に入れるべくGMと交渉したが失敗。次にフォードと交渉したところ、当時、フォードの副社長でフォード部門の総支配人であったリー・アイアコッカが、若年層の顧客を増やすべくフォードの若返りを図り「Total Performance」政策を推進している時期であり、絶好のタイミングで協力を得ることに成功した。エンジンの供給はもとより、車両開発のサポート、代金決済期間の延長、フォードのディーラーネットワークの活用などシェルビーはフォードの全面的なサポートを受けることとなった。そして、クルマの正式名称は「Shelby-AC Cobra powered by Ford」に決定した。

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ラダーフレームにオープン2座ボディーを載せたACエースのエンジンを、英国フォードの2.6リッター直6から米国フォードの4.2リッターV8エンジンに換装したコブラ260(Mk1)が1962年にデビュー。4.7リッターを積んだコブラ289(Mk2)を経て、1965年にはシャシーを改良し、拡幅されたグラマラスなボディーに最高出力425hpを発生する7リッターV8を積んだコブラ427が登場。1t少々の軽量な車体と相まって、最高速度280km/h以上、0-400m加速12.2秒という、まさに敵なしの圧倒的な性能を誇った。

427 S/Cはコンペティションモデル(競技車両)を一般公道向けにデチューンを施し、フロントウィンドウシールドを装着したモデルで、速さだけでなく、その希少性からコレクターズアイテムとして世界中で高い人気を誇っています。

イギリスの自動車メーカーであるACカーズと、ルマン優勝経験のあるアメリカ人レーシングドライバーのキャロル・シェルビーが、現役引退後に設立したシェルビー・アメリカンのコラボレーションによるアングロ・アメリカン・スポーツカー。コブラ(cobra)とは「熱帯・亜熱帯に生息する毒ヘビ(特に威嚇するときに前半身を立てえりの部分を平らに広げる種類)」を指す英語。その強烈なパフォーマンスをコブラの猛毒にたとえたのだろう。

第57回 AC & Shelby AC Cobra

1960年代の英国スポーツカーらしいオープンボディに大排気量のアメリカンV8エンジンを搭載。現代のクルマには無いマッシブスタイルと、電子制御に縛られない豪快な走りが魅力の「ACコブラ」。リプロダクションカーと呼ばれるレプリカは、世界で10を超える会社から現在も生産されていますが、オリジナルは1962~1967年(米国、欧州では1969年まで)まで製造。その最強バージョンといえるのが「ACシェルビーコブラ427」。エンジンは約7ℓのOHVで、スタンダード仕様で425㎰、レース向けのコンペティション仕様に至っては485㎰となっています。そのパワーを受け止めるために車体も徹底的に強化。ダブルウィッシュボーンの足回りが採用され、前後オーバーフェンダーを装着して全幅を175㎜拡大するなど、大胆なアップデートを果たしています。レースは期日までにホモロゲーションを満たすことができず、シェルビーの手によるワークス参戦は実現しませんでしたが、ゼロヨンは12秒台の俊足で、発進時に左右にテールを振りながらのスネークダッシュは世界中のスピードジャンキーたちを虜にしました。427 S/Cはコンペティションモデル(競技車両)を一般公道向けにデチューンを施し、フロントウィンドウシールドを装着したモデルで、速さだけでなく、その希少性からコレクターズアイテムとして世界中で高い人気を誇っています。

イギリスとアメリカが生み出した毒ヘビコブラとはどんな車?

「(Cobraを)買おう!・・・さもなければ走り抜ける(Cobraに)注目しよう!」のコピーと共に登場したShelby-AC Cobra最初のカタログ。表紙のクルマはプロトタイプでシャシー番号CSX2000、量産車との最大の違いはリアブレーキがインボード式のディスク(量産車はアウトボード式ディスク)であった。撮影場所はエンジン+TMを積み込んだ、カリフォルニア州サンタ フェ スプリングスの目玉マークでおなじみのディーン・ムーン・ショップ近くのゴルフ場。ドレスアップして立つ女性はキャロル・シェルビーの秘書。