このコブラ2は1976年から1978年にかけてマスタングIIに設定されたパフォーマンスモデルです。


1965年、フォードは新たなレース体制を発表する。シェルビー・アメリカンがマシンの製造とレースを請け負うことが明らかにされた。シェルビーからは、マスタングGT350と427立方インチ(約7リッター)のV8エンジンを搭載するコブラが発売されていた。ル・マンを戦う新しいフォードGTも、427立方インチの巨大なエンジンを搭載する。レースでの勝利は、シェルビーにとってもビジネスチャンスなのだ。レースで名声を高めてロードカーを売るという方式は、フェラーリと同じだった。


428コブラジェットを搭載した68年型フォード・マスタング・ファストバック

日本市場では3thジェネレーション・マスタングまでは近鉄モータースなどのフォード自動車系のディーラー網で販売されていましたが、4thジェネレーション・マスタングからマツダとフォードの合弁販売チャンネルであるオートラマ系で販売されました。

日本市場でのマスタングの販売価格はもっとも安いモデルで229万円と、シルビアやセリカなどの国産クーペとほとんど変わりがない新車価格に設定。

そのため陳腐化が進んでいたFOXマスタングの延命策が急遽必要となり、外装を一新するビッグマイナーチェンジを施すこととなりました。

87年に登場したFOXマスタングの後期型では、当時のフォード車に共通するエアロダイナミズムが採り入れられ、SVOに似た2灯式のヘッドランプが与えられています。
さらにはエンジンラインナップも140cuin(2,294cc)直4SOHC(90HP)と302cuin(4,949cc)V8OHV(225HP)の2本に整理。
それに合わせて全車インジェクション化を果たしました。

ハイパワーなV8エンジンを搭載したマスタングの復活に米国のマッスルカーファンは歓喜し、モデル末期でありながらFOXマスタングは売り上げを伸ばすことに成功しました。

キングコブラはコブラIIとは違い、足回りのパフォーマンスが多少パワーアップされていました。

フォード社は80年代後半にFOXマスタングのフルモデルチェンジを計画します。
モデルチェンジに当たってフォード社は、マツダとの共同開発によりカペラをベースにしたFFクーペを次世代マスタングとしてデビューさせることを企図します。

しかし、「マスタング」という車名に強いこだわりを持つ北米フォードの社員から「日米合作車、それもFF車に偉大なマスタングの名前を与えるわけにはいかない!」との激烈な反対運動が社内で巻き起こったため、フォード社上層部はマスタング後継車としての開発を見合わせ、開発中のモデルは「プローブ」として発売することとしました。

99年、マスタングはマイナーチェンジを実施。
メカニズムに大きな変更はありませんが、外装は一新され、前期型のイメージを踏襲しつつボディフォルムを曲線基調から直線基調へと一新します。
また、このスタイリングの変更に伴いフロントフードに大型のダミースクープを追加。
マッスルカーらしい力強いフォルムとなりました。

あくまでただのマスタングファンなので間違ってたらごめんなさい。

84年、マスタングのスポーツ路線復活を決定づけるハイパフォーマンスモデルが登場します。
マスタングSVO(スペシャル・ヴィークル・オペレーション)と名付けられたこの車は、SCCAやIMSAなどのレースカーを製作するフォード社のモータースポーツ部門が手掛けたスペシャルモデルで、パワーユニットは175hpを発揮する140cuin(2,294cc)直4SOHCターボを搭載。
組み合わされるギアボックスは5MTが標準装備となり、LSDや4輪ディスクブレーキ(マスタング初の装備)、コニー社製ダンパーが標準装備とされるなど、本格的なスポーツモデルとして開発されました。
また、外装はフロントマスクがグリルレスとなり、大型2灯式ヘッドランプを備えるなど、コブラやGTとは異なるヨーロピアンテイスト溢れるルックスにまとめられています。

82年、FOXマスタングはターボエンジンを搭載したコブラを廃止。
コブラに代わるスポーツモデルとして「GT」が新たに登場しました。
GTの心臓は4バレルキャブレター&エグゾーストシステムを搭載したハイ・アウトプット(H.O)仕様で、最高出力は157hpを発揮。
久しぶりの高性能V8を搭載したマスタングということで登場当時は大いに話題を呼びました。

さらに83年には約10年ぶりにコンバーチブルが復活。
オープンカーならではの爽快感は往時を知る中高年だけでなく、若者の支持も集めることに成功します。

「マスタング コブラ」の中古車 | 中古車なら【カーセンサーnet】

搭載されるエンジンは140cuin(2,294cc)直4S(88hp) と170cuin(2,786cc)V6OHV(109hp)、302cuin(4,949cc)V8OHV(140hp)などマスタングIIからキャリーオーバーされたものが中心でしたが、それに加えて140cuin直4SOHCターボエンジン(コブラに設定)も新登場。
このターボエンジンは4気筒ながらV8に匹敵する140hpの最高出力と燃費性能を両立させており、新時代のマスタングに相応しいパワーユニットとして人気を集めました。
80年型では6気筒エンジンがV6から新開発の200cuin(3,277cc)直6エンジンに置き換えられました。

FOXマスタングのスタイリングは、アメ車らしい抑揚のあるマスタングIIのものから一転し、ヨーロピアンルックのエアロダイナミズムを追求したシャープなラインが特徴としており、歴代モデルの中で唯一となるスラントグリルを採用しています。
デビュー当初はマスタング伝統のアイコンがことごとく姿を消したことから、ファンの間で賛否を巻き起こしましたが、結果的には斬新なフォルムが受けて発売初年度だけで37万台を販売するヒット作となりました。

ボディバリエーションは発表当初はハッチバックとノッチバックだけでしたが、ほどなくマスタングIIで話題を呼んだTバールーフも追加されています。

グレード構成はベースグレードの「ハッチバック」と「クーペ」を基本に、上級グレードの「ギア」、スポーツグレードの「コブラ」というラインナップとなります。


フォード マスタング コブラの中古車一覧(1~5件)【グーネット】

搭載されるエンジンは排気ガス規制によりV8エンジンの存続が危機的な状況にあったため、デビュー当初は140cuin(2,294cc)直4(85hp) と169cuin(2,769cc)V6OHVを標準とし、Mach1のみ専用の171cuin(2,802cc)V6OHVが用意されました。
しかし、初代モデル後期のハイパワー路線からの大きな方向転換に戸惑うファンも少なくはなく、デビュー直後からV8モデルを求める声が挙がりました。

こうした市場の声に応えるかたちで、75年に302cuin(4,949cc)V8OHVがオプションとして追加されます。
このエンジンは乗用車用のウィンザーブロックを使用しており、排ガス規制に適合するため最高出力は122hpに抑えられていましたが、カムやシリンダーヘッド、キャブなどを交換すれば簡単にパワーアップできました。
そうしたことからコンパクトな車体を活かし、ドラッグレースでは高度にチューニングされたマスタングIIが活躍しました。

マスタング コブラ(埼玉県)の車両詳細 | 【みんなの中古車市場】

こうしたユーザーの声に応えるように、69年秋から開発がスタートした 2ndジェネレーション・マスタングでは「原点回帰」を合い言葉にボディサイズを大幅にシュリンクすることを検討します。
しかし、当時の米国の自動車産業には「車のサイズは拡大されるべきものであって、絶対に前モデルより小さくしてはならない」との不文律がありました。

しかし、アイアコッカは豪腕により社内に溢れる不満の声を抑え込み、サブコンパクトカーのピントのプラットフォームを流用して開発を断行。
全長は475mm、ホイールベースは320mmも一気に短くしたのです。

車名もあらたに「マスタングII」に改名して74年型として発表しました。

開発を担当したのは初代モデルと同じくハロルド・スパーリック。
アイアコッカと個人的に親しい関係にあったアレッサンドロ・デ・トマソもマスタングIIの開発に際して助言を与えたと言われています。
※アレッサンドロの妻・イザベルはGM創設メンバーの孫娘で、米国の自動車産業と太いパイプを持つ富豪の令嬢でした

フォードマスタング コブラ (FORD MUSTANG COBRA)

「サンダーバードも、発売時には美しい車だったのに、みなさん(経営陣)はそれをだんだん大きくし、とうとう似ても似つかない車になりました。
マスタングでも、同じことをしています。
小さい車をなぜ小さいままにしておくことができないんですか。
大きくしては新車を作り、大きくしては新車を作る。
ムダだと思いませんか?」
(リー・アイアコッカ著/徳岡孝夫訳「アイカコッカ わが闘魂の経営」ダイヤモンド社刊より)

これは68年のフォード社株主総会でひとりの女性株主によるフォード経営陣への批判の言葉です。

記録的な大ヒットを飛ばしたマスタングが、その後エンジンパワーが増し、車体が大きく・立派になるのと反比例して販売台数が減少した理由を端的に表しています。
すなわち、ユーザーはコンパクトで魅力的なマスタングを求めていたのに、フォード社は利益率を高めるために大型化・高級化して凡百のアメリカ車と変わりがない車にしまったわけです。
完全な経営判断の誤りでした。

フォード マスタング コブラ 中古車 情報 | ガレージダイバン

原点回帰をコンセプトとしたマスタングIIは、デビュー初年こそ38万5,993台を販売しましたが、やはりイメージリーダーとなるハイパフォーマンスモデルの設定がなかったことが販売に響き、2年目となる75年型モデルの生産台数は18万8,575台に半減。
事態を憂慮したフォード経営陣は、カンフル剤としてマスタングのイメージリーダーとするべくスポーツグレードを発表します。
それが75年に追加されたマスタング・コブラIIです。

コブラIIはMach1をベースに、エアロパーツと専用のボディデカールで武装したモデルで、パフォーマンスは302cuin V8OHV搭載車と変わりはありません。
すなわち「カタチだけのコブラ」だったのですが、スポーツモデル冬の時代ということもあり、市場は概ね好意的に受取ったようです。

これに気を良くしたフォード社は、マスタングIIファイナルイヤーとなる78年にキングコブラを発表します。
ボディはより派手さを増したエアロパーツを纏い、カウルフード(ボンネット)に巨大なコブラのイラストが描かれ、専用のメッシュホイールを吐いたキングコブラは一定の人気を得て、マスタングIIの最後を飾りました。

フォード マスタング 1994年式モデル コブラ 中古車情報

排ガス規制によって牙を失い、大きく重くなった車体はスポーティカーとしてのマスタングのイメージに致命的なダメージを与えました。
その結果、15万台/年と販売台数はビッグマイナー前とほとんど変わりがなく、フォードが期待したようなV字回復を果たすことができませんでした。

フォード マスタング (1998年3月) カタログ・スペック情報・モデル・グレード(コブラ)

半世紀以上販売され続けてきたマスタングには色んな種類のモデルが存在していますね。今回紹介しなかったグレードも多数存在していますし。

フォード マスタング コブラ(99年05月-02年01月) / FORDの車カタログ

71年、マスタングは3回目のビッグマイナーチェンジ(通称・ビッグマスタング)を実施し、車体はより大きく、重く、スタイリングはますます派手になります。
また、それまで不変だったホイールベースはこのモデルになって26mm延長され、2,769mmとなりました。

スタイリングは68年型に続いてラリー・シノダが担当。
バンキーの好みを反映してフラット感を強調した力強いフォルムとなっています。
しかしながら、ヘンリー・フォードとの関係の悪化から71年型の登場を待つことなく、バンキーは69年9月にフォード社を解雇され、その直後にシノダもフォード社を退職しています。

フォード マスタング コブラ SVTコブラ/ディーラー車/レザーシート/リアス… 2,280,000円. 76,308km 1998年.

1995年にマスタングGTの廉価モデルに位置するGTSが登場しましたが、こちらは翌年には消滅する息の短いモデルでした。

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3代目マスタングの上位モデルはGT、GTより下のモデルにはそれぞれL、GL、GLXと名付けられました。

マスタング コブラ(東京都)の車両詳細 | 【みんなの中古車市場】

また、フルチョイス・システムによる仕様の違いはあるものの、グレードによる等級分けを行っていなかったマスタングですが、この年からその方針を転換。
ベーシックモデルとして全車に「スタンダード」を設定した上で、HTをベースに装備を充実させた「グランデ」、スポーツ性を強調した「Mach1」、レース用のホモロゲーションマシンの「BOSS」などが用意されました。

1/24 アメリカ車; >; フォードマスタング/コブラR (タミヤ) No156

マスタングのデビューから5年あまりが経過した69年、販売台数は31万7,000台あまりとピーク時の半分程度の台数しか売れなくなり、人気に陰りが見え始めます。
そこでフォード社ではカンフル剤として再びボディ外板を一新するビッグマイナーチェンジを施します。

スタイリングはあくまでもキープコンセプトでしたが、ボディの凹凸を協調してより派手なルックスとなり、ホイールベースに変更はなかったもののボディサイズは全長で93mm、全幅で10mmサイズアップされ、初代マスタングに比べてひと回り大きな車となりました。