COBRAコブラTシャツ OI PUNK オイパンク ニョロ吉 ヨースコーPONナオキ80s90s
(Oi!) パンク・ロック (Punk Rock)バンド。
来歴
1982年、兵庫県尼崎市にて中学校同級生のYOSU-KO(ボーカル)とNAOKI(ギター)MI-CHANG(ドラム)らで結成。
1984年、現GARLIC BOYSのLARRY(ギター)加入。脱退したNAOKIはLAUGHIN' NOSEに加入。
1985年、AAレコードよりアルバム「STAND THE PRESSURE」をリリース。
1987年、徳間ジャパンよりメジャーデビューしたが同年に活動を停止。
1990年にLAUGHIN' NOSEを脱退したNAOKI、PONを迎えポニーキャニオンより再メジャーデビューを果たし、武道館公演を果たすが1991年に活動停止。YOSU-KOとPONはハウスユニットを結成、KAMIKAZE名義で初ライブを行った後、COW COWとしてメジャーにて活動。NAOKIとKI-YANは新たにDOG FIGHTを結成した。
1999年に結成時のギタリストであるNAOKIを再度メンバーに迎え、YOSU-KOがベースボーカルとなり3ピースでCOBRAを再結成、東芝EMIで活動するも2001年にはYOSU-KO以外のメンバーが脱退、インディーズにて活動を続けるも2005年には再び活動休止。
2007年にはメンバーを一新し活動を再開、フジロック出演やヨーロッパツアーを果たすも、YOSU-KOの体調不良により2012年末を以て再度の活動停止となった。これを以ってBaseのYUICHIが脱退。直後の2013年1月1日には予定されていたシングル「THE BEGINNING OF THE END e.p.」をリリース、本作が現時点で最後にリリースされた作品である。
2015年に元メンバーであるPON(現LAUGHIN' NOSE)をベースに迎え活動を再開した。しかし、2016年の名古屋でのライブの前日にYO-SUKOが突然の不参加となり、翌日のPUNK LIVES 2016を以て再度の活動休止となった。両日のライブはベースのPONが全曲ボーカルを担当した。以来活動は再開されておらず、この活動期間内に作品のリリースはなかった。
メンバー
*YOSU-KO(ボーカル)
*LINA(ギター) concurrency.
コブラ#oi#oiパンク#ヨースコー#ポン#ナオキ#パンク#パンクロック
これを読んで「ふーん聴いてみたいな」と思ってくださったら本望です☆ わたくしが全面的にサポートいたしますので(笑)ご遠慮なくお声かけください (布教活動である笑笑)
【hopes】 いやぁ~ 味の違う<金太郎あめ>でした( ;∀;) ←うまいw!!
ということで、明日ちょっくら、キュキューンと撃ち抜かれてきますね♡
ちょっと気がフレタみたいなオキャミとキャッキャッしたい方は、まだチケットご用意できますのでご一緒にいかが^^
1980年代半ばにインディーズブームを牽引し、メジャー移籍後はどんどん大きくなるフィールドで、思うままに楽しんでいるかのように見えたチャーミーだが、自分たちバンドメンバー以外の思惑がいろいろ入ってくる状況に、混乱することも多かったようだ。
再び動きはじめたラフィンノーズは、ポンが主宰する新たなレーベル「Letsrock」をベースに、ライブのブッキングからチケットやグッズの販売、CDジャケットやグッズのデザイン、ライブをする地方への移動や機材の搬入搬出などまで、すべての活動をほぼメンバーのみでおこなうという、純・インディーズ体制を築いた。
それはまるで、チャーミーとポンが大阪で出会ったばかりの頃に戻り、それを心から慈しみ、楽しんでいるかのような動きだった。
音楽性だけではなく、そうしたバンド活動にまつわる諸事の扱いも含め、新生ラフィンノーズがパンクのDIY精神を貫こうとしていたことは明らかだ。
「ポンと初めて会ったのは、19か20のときだから、もう40年以上の長い付き合いになります。それだけ長く付き合うと良い面も嫌な面も目につくけど、俺とポンって同じ方を見て同じ道を進んではいても、言うなれば“背中合わせ”の2人なんですよ。『こっちは俺が守るぜ。だから俺の後ろは、ポン、おまえが守ってくれ』みたいな。なんかそんな感じ。あいつと出会ったのは運命だと思ってるし、普通に『兄弟だな』って思う。気づけばそうなってますね。昔はそんなこと恥ずかしくて言わなかったけど、今はもう、本当にそうなんだなと思うよ」
NAOKIさんが日本のハードコアパンクシーンの中で教えてくれた、愛のある世界の素晴らしさ ISHIYAが綴る追悼文
***
SAとかCOBRAとかもあるのかなあと思ったけど、バンドの曲はほとんどなくて、ラフィンノーズの「R&R DESIRE」はちょっと遊びな感じで歌ってくれました。なぜこの曲だったのかなあ~って思ったら作詞はPONさんだけど、作曲はPONさんとNAOKIさんでしたね。それで歌ってくれたのかも。歌ってる途中で歌詞忘れた~みんなも覚えてたら歌って!え~みんなも覚えて無いやん~って笑いを取りつつ、この辺で勘弁してーって(笑)
Stand Strong - COBRAのページをご覧の皆様へ
HMV&BOOKS onlineは、本・CD・DVD・ブルーレイはもちろん、各種グッズやアクセサリーまで通販ができるオンラインショップです。
Pontaポイントもつかえて、お得なキャンペーンや限定特典アイテムも多数!支払い方法、配送方法もいろいろ選べます。本・CDやDVD・ブルーレイの通販ならHMV&BOOKS online!
#パンクロック #SA#コブラ#ラフィンノーズ #ナオキ#50代 ..
このページをご覧の皆様へ
HMV&BOOKS onlineは、本・CD・DVD・ブルーレイはもちろん、各種グッズやアクセサリーまで通販ができるオンラインショップです。
Pontaポイントもつかえて、お得なキャンペーンや限定特典アイテムも多数!支払い方法、配送方法もいろいろ選べます。本・CDやDVD・ブルーレイの通販ならHMV&BOOKS online!
僕がその存在を知って虜になった1985年頃のラフィンノーズは、チャーミー(ヴォーカル)、ナオキ(ギター)、ポン(ベース)、マル(ドラムス)という体制だった。
このうち、結成時からのオリジナルメンバーはチャーミーだけだが、結成まもない1982年から参加しているベースのポンは、チャーミーとともにラフィンノーズを形作ってきた主要メンバー。チャーミーにとってはかけがえのない大事な仲間で、無二の友人であることは、ファンの目から見ても明らかだ。
だから、1989年にナオキとともにポンが脱退したときは、「ああ、これでラフィンは終わりか」と思った。その後チャーミーは新メンバーを迎えてラフィンノーズを継続させたが、1990年にはメンバーの1人が暴行事件で逮捕され、マルも脱退。
1991年にはついに解散してしまう。
ポンはラフィンノーズ脱退後、ナオキとともに関西パンクシーン出身のOi!パンクバンドCOBRAに加わり、メジャー展開して人気が高まっていた同バンドのメンバーとして、武道館のステージに立つ。
COBRAは1992年に解散したが、その後もポンは、COBRAのボーカリストYOSU-KOとともにCOW COWというハウスユニットを組むなど、充実したミュージシャンライフを送っていた。
一方のチャーミーはラフィン解散後すぐにソロアルバムをリリースしたが、音楽活動は以前より目立たなくなり、このまま表舞台から去ってしまうかのように見えた。
だが1995年、チャーミーとポンは再び意気投合し、ラフィンノーズの再始動を決意する。かつてのインタビューでチャーミーは、ラフィンノーズ再結成にあたり、「何をやってもいいんだけど、絶対にパンクロックでありたい」という意識を強く持ったと語っている。
SA Guitarist NAOKI ~Interview Vol.1~
『COBRA コブラ Oi オイパンク 紺 ネイビー Tシャツ M tシャツ ( SA ラフィンノーズ ドッグファイト ヨースコー ナオキ アンガーフレアーズ』はヤフオクでGl-ouMW2QCMから1月 23日 20時 32分に出品され1月 26日 20時 32分に終了予定です。即決価格は設定されていません。現在-件の入札があります。決済方法はYahoo!かんたん決済に対応。奈良県からの発送料は落札者が負担します。PRオプションはYahoo!かんたん決済、取りナビ(ベータ版)を利用したオークションでした。
***
ファンにとってはいつまでもラフィンノーズのNAOKIさんは記憶の中にあるけど、NAOKIさんにとってはもう遠い昔に脱退したバンドだし、それを売りにしてソロライブをやってるわけじゃないのでしょう。今のNAOKIさんのいい曲たちがあるし。
SA Guitarist NAOKI ~Interview Vol.2~
さて、話をDOG FIGHT!に戻そう。
NAOKIといえばDOG FIGHT!が頭に浮かぶと言いつつ、自分がDOG FIGHT!の音に初めて触れたのは、もうバンドが解散しようかという1996年か1997年頃だった。いや、もしかしたらすでに解散していたのかも。
COBRA、DOG FIGHTの元メンバー。 #SA #NAOKI # ..
............
最近ブログを読み始めたという方が増えている... ということですが
たまに出てくる、この番外編、なにがなんだかわからなくて
「ところで、そのNAOKIってダレ?」と思っている人と
そういえば忘れかけている人と、もうお腹イッパイ!と思ってる人へも
オキャミの ”NAOKI 歴史” 軽く「おさらいコーナーー自己満足ver.(*´з`)」
時は1986年 高校2年生のときに同級生男子がバンドでコピーしていた
「ラフィンノーズ」というバンドを知ることになる。
その彼が来ると思って行った「ラフィンノーズ」のコンサート。
バンドアルアルでボーカルの人を見ながら楽しかったわりに
ギターの人がかっこよすぎて、恋に落ちる。
※ちなみに、その彼は来ていなかったw
※そのライブでカッコよすぎたのが「NAOKI」である
この時 ともこ17、NAOKI22!
以来、ひーふーみー... 36、7年くらい好きである。
しつこさには本人にも定評あり( ;∀;) ヒャーー
高校3年生の4月に家出して、東京の日比谷野外音楽堂でのライブへ!
2泊野宿して最前列を奪取するも、ライブ中事故が起こり、中断。
この体験以降、学校に行けなくなりしばらく不登校。
卒業後は「NAOKI」近くに居たいがため、すぐに東京に引っ越し。
18歳、右も左もわからぬ春。
そのラフィンノーズの事務所の近くに住み、路上遭遇などを何度か体験
専門学校はかくれみの^^; ←これ言うたびに親に申し訳ない^^;
アルバイトとライブ(追っかけ)に明け暮れる。
同年9月ごろ、実物にアポあり初謁見を達成。
ファンレターに始まり、電話や自宅への押しかけ←今なら軽犯罪w
(あ、内容はまったくあきれるほどカワイイものです)
お誕生日デートや長電話など、今と変わらず優しくて、嗚呼思い出す^^
もちろん面倒くさがられた体験も多々(;´Д`A ```
なぜかいまふと思い出した「大喪の礼」雨降るその日に電話をしたこと。
さて顔見知りにはなったが、特に究極に次に達成すべきゴールがなくなり、
そんな日々に虚しさを感じ始め、ハタチになる6日前に引っ越し。
最後の思い出は「喫茶店で一緒に食べたオムライス」グッバイわたしの青春☆
このときわたし19、NAOKI24。
引っ越し先は「NAOKI」の生まれ育った「尼崎市塚口」←秘密裏に^^;
住み心地も良く、5年も住んでいる間にはもちろん本人にもバレる。
(ゆかりのあるところに居たかったという執着心がすごい... (-_-;))
もう追っかけることは "非建設的" なんでやめようと思っていたのに、
当時の「COBRA」というバンドがすさまじくカッコよすぎて、やっぱりやめられず
グッバイとか言ったわりに、関西圏と広島のライブに制限して、追っかける。
そのころのファンレターの書き出しはいつも
「グッバイとか言いながら、またまた書いてます。」でした。
時は流れ、ファンレターは近況報告にも変わる。
25歳から海外に2年ほど住み、27歳で広島に戻り
28歳で結婚し、37歳でお商売を始めるなど
海外からはエアメールを送りつけ、結婚したときも内祝いとともに報告をし
商売を始めるときにも報告をして、特別な場所でライブをするときには祝辞を送り
広島でのライブが仕事で行けなくて行けない旨メールを入れて
(このころからメールが普通のツールになってきた)
ライブの前日、始まる前や終わった後など、顔を見に行ってみたり
その存在を確認し続け... この存在をアピり続け...
なんの応援もできなかったわたしにですら、ああ優しいんよね。
(誰にでもまんべんなく、気遣いできて、優しい。あれは真の才能!)
で、いったいどういうところがそんなに好きで
こんなことになっているかと聞かれれば
最初は「顔」で、今もずっと「顔」ですが
具体的にあげられる「顔以外」のことはいったいナニ?笑
ギターを弾く姿も好きだし、なぜなのか不思議だけど、
見え隠れする、いろんなエッセンスが好きで
これはもう今となっては呪いかなんかじゃないかと思っていますw
というは、よく使う理由のひとつですが、やっぱり長年接していて見える
「ほう~、そこ、そうくるか~」と、スススっと方向性が似ているから
違和感のない、その人間性なんでしょうね、と締めくくります。
18歳のときに東京へ向かった、わたしの、文字に落とした夢は
なぜか「付き合いたい!とか結婚したい!」とか、男女な感じがあまりなく
「NAOKIさんと、大人になっても続く、友人になりたい」
ま、そんな思いがあったから、東京を去ったし「自分を生きないと!」と思わせてくれた人。
(↑上手に自分で燃料つくって、燃やして、自己完結できるタイプ ←NAOKI案件に限るw)
いま懐かしいあれこれを思い出して話したり、
うまくいってることも、ちょっとネガティブなことも話せたり
ここにきて、この歳になって、あのころの夢を達成しているような、そんな気持ちです。
と同時に、いまもその夢の姿のままでリアルに存在してくれていることを応援したい。
ずっと存在していてくれて、ありがたいし、居てくれることで頑張れる自分がいる。
だから、これはわたしの恩返しの旅。
そんなわたしの勝手一方的な恩返しに、今週末、旦那さんを筆頭にw
また多くの人が巻き込まれる... というそういうハナシなわけです。笑
どうです?キャンセルしたくなったでしょ( *´艸`)
日曜日、たくさんのご来場をお待ちいたしております!
六望智子* with loyalty
(Oi!) パンク・ロック (Punk Rock)バンド ..
元「smart」編集長・佐藤誠二朗によるカルチャー・ノンフィクション連載「Don't trust under 50」。ラフィンノーズのヴォーカル、チャーミーの物語。前回は、62歳を過ぎても年齢を全く感じさせない熱いライブで全国を回り続ける、現在の生活についてお伝えした。今回は、チャーミーを語るために欠かすことのできない存在である2人の大切な男について(全4回の2回目)。
SA Guitarist NAOKI ~Interview Vol.4~
でもきっとNAOKIさんは、そんなみんなの気持ちが分かっててファンサービスでやってくれるんじゃないかな♪もう1曲、お客さんのコールでやってくれた「GET THE GLORY」わたしはNAOKIさんがラフィンノーズにいるときにリアルタイムで見て無いから、目の前でギター弾いてくれてめちゃくちゃ感動しました。ライブ映像でしか見たことないですからね。嬉しかったなあ。
COBRA、DOG FIGHTの元メンバー。 #SA #NAOKI
ヴォーカルのヨースコーを中心に、元ラフィン・ノーズのナオキとポンなどが加わった4人組の7曲入り新作ミニ・アルバム。ラモーンズ・タイプのポップなロックンロールを得意とする彼ららしく初志貫徹のコブラ流ワンパターン・パンクが小気味良く炸裂。(岳)(CDジャーナル データベースより)
SA Guitarist NAOKI ~Interview Vol.3~
............
ソールドアウト「気味」 ...ギミってなんでしょう?笑笑
いや、正直いったい何人あたりでソールドアウト宣言したらよいのか
自分でもわからないのですwww
しかしこのへんから後はもう「立ち見席」レベルかなあ... なんて。
↓ こちら前回 2018.10.14 の後ろからの画像。
この時は約45名様くらいが来られていたはずで
スタッフも入れたら、50人強くらいの人数がそこにいたわけで。
で、今回なんですけど「忠犬乙女ともこ」またの名を「手売りの鬼」
せっかく広島くんだりまで来てくださるのだから良い景色を見ていただきたい!
なので、そうね~120人くらいには声(鬼プッシュ)かけてまして
「イエスorイエス?」半ば強制的に巻き込まれる人々もいる前半戦でしたが
ここにきて「あ、1人2人は、いいよ、大丈夫よ、なんとかなるよ」と
1人でも多くの人に来て観て聴いて、人柄にも触れてほしくって
まあ空間としては広いので、(店内のどこででも観られるかぁ)なんて
お受けしていたら、ちょっといま60人を超えてきてまして^^;
なわけで、さすがにもう入れないかもしれません( ;∀;)泣笑
ちなみに、そのうち20人近くは「NAOKIって誰?」みたいな
NAOKIに縁もゆかりも見たこともない人で(笑)
(なぜそうなるかと言えば、普通のお客さんにも声かけてるw)
(アンド 六望開催ならでは... の集客ですね( *´艸`))
なので、たぶん本人もちょっとしたアウェー感じるんじゃ( ゚∀゚)アハハ
ついに2週間をきりまして、ソレもアレも立て込んでまいりました(;´Д`A ```
なかなか集中して準備のできない日々を送っておりますが
その日はもうすぐそこまで迫っている!
うーーーん 参加される方!楽しみですね♡
一緒に指折り数えましょう~(*´з`)
六望智子*
SA Guitarist NAOKI ~Interview Vol.3~
宮本 直樹(みやもと なおき、1965年6月18日 - )は、日本のバンド『SA』のギタリスト。『NAOKI』名義での活動が大半。LAUGHIN' NOSE、COBRA、DOG FIGHTの元メンバー。スパイキーヘアーが特徴。