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試合後、コブラはいつ以来の試合かと問われると「長い時間が経っていますね。確かゼロワンの福岡のボウリング場があるところ以来」と振り返り、2002年8月24日、ゼロワンの博多スターレーン大会以来、約16年ぶりの復活だったことを明かした。久々のリングに「尊敬する先輩みなさんのリングなんで私もとても光栄に感じております。これからの課題として、藤波さん、そして、ここのリングに参加する方々が努力してさらにお客さんをたくさん呼べる団体になっていただきたい。そのために私もできる限り先輩のお役に立てれば光栄かなと考えております」とレスラーとは思えない丁寧な口調で言葉をかみしめていた。


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改めて試合開始のゴングが鳴らされると、館内はコブラコールではなく「高野コール」が起きていた。そして肝心の試合となると期待されたコブラの空中戦は封じられ、グラウンド中心の攻防に終始、コブラが空中殺法を狙うと、スミスは受けようとしないなどの行為が目立ち、コブラの良さを引き出さずに自身の良さばかりをアピールしたため、ジュニアらしい華麗な空中戦も攻防はなく、さすがの館内も野次が飛び始める。
それでもコブラはドロップキックでスミスを場外に追いやると、ノータッチトペスイシーダを発射するが、スミスはかわして鉄柵へ直撃しコブラは両膝を負傷、この時にコブラは膝の半月板が割れたという。スミスは場外パイルドライバーで突き刺すが、コブラも鉄柱攻撃から同じ技でやり返し、リングに戻ってスミスはミサイルキックを狙うと、コブラも下からのドロップキックで迎撃、コブラは痛い両膝でのダブルニーからフライングラリアットを狙うが、タイミングが合わずに相打ちとなって失敗してしまう。しかしスミスのセントーンをかわしたコブラはフライング・ラリアットを決めて3カウントを奪い勝利も、フィニッシュの技にはインパクトに欠けるだけでなく技の失敗も目立って、新日本やテレビ朝日の期待を大きく裏切る結果となってしまい、肝心の試合の模様は試合途中からトペの失敗まではダイジェストで放送され、放送されたのは終盤でのフィニッシュシーンでの攻防だけだった。

ファンの声援に「うれしかったですね。私はプロレスしかできない男ですから。すべて人生、プロレスにかけてきたんで。こうしてまた、藤波さんのリングで立たせてもらうこと、スタッフの皆さんに感謝しますし、先輩方はじめご来場のファンのみなさまにこの場を借りて御礼を申し上げたいと思っております。次の課題としてさらにご声援いただけるように、残り成長していい試合できるように頑張っていきたいと思います」と意気込み「課題は山積してますので、特に今の業界は以前の昭和プロレスの黄金時代のように、藤波さん、先輩方通じて時代をまた迎えられるように、みなさんで一丸となってがんばって、お互いの目標の課題をひとつひとつクリアして結果が出るように頑張っていきたいと思います」とまだまだ現役を続ける考えも披露していた。

かつて新日本プロレスなどで活躍したプロレスラー、ジョージ高野(59)を20日、「ドラディション」後楽園ホール大会で取材した。

その後コブラは割れた膝は手術せずにスクワットなどで下半身を強化して1984年に復帰したが、現在も膝は割れたままだという。コブラは「新春黄金シリーズ」に開催された「WWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦」にエントリー、公式戦では初代タイガーのライバルであるキッド、初代ブラックタイガーを破る殊勲を挙げたが、優勝決定戦はキッド、スミスと三つ巴で争われ、三つ巴戦はスミスがコブラと引き分け、キッドに敗れて脱落し、優勝はコブラとキッドの間で争われたが、キッドがバックドロップホールドでコブラを破り優勝、コブラは初黒星を喫した。

コブラの相手はこちらも謎のマスクマンであるザ・バンピートが務めることになったが、コブラはタイガーマスクやマスカラスのマスクを被った若手選手らが担ぐ白煙を噴く神輿に乗って、白いタキシードを身に纏い登場、コーナー昇ったコブラはバク宙を披露するも、すぐさまバンピートがコブラを襲撃する。
バンビ―トは突如マスクを脱いで素顔を晒すと、ファンはダイナマイト・キッドだと思ってキッドコールを贈ったが、正体はキッドに似ていたスミスで、スミスはコブラはタキシードを脱いでいないコブラを場外へ追いやってボディースラムで叩きつけ、リングに戻ろうとするコブラにロープ越しのブレーンバスター、リフトアップスラムで場外に放り投げるなどコブラを徹底的に痛めつける。

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後年、ジョージによると「(トペ失敗)はそのまま放送して欲しかったですね、そうすればタイガーマスクと比較がわかると思うんですよ、佐山さんが新日本を辞めたばかりで、コブラはその後釜に期待されていたことは知っていたけど、だからこそあの失敗は放送して欲しかった。佐山タイガーは全部成功するキャラクター、でもコブラは成功しないみたいな。再起するキャラクターなんですよ、私はコブラのカラーを出したかったんですよ、コブラはどこが違うかって言ったら猪木さんのファイティングスピリット、決して諦めない気持ちと動きで見せるところです」と語ったとおり、初代タイガーは完成品であるに対し、コブラは未完成、だからこそ何度も敗れて失敗しても、歯を食いしばって立ち上がる闘志を見せるコブラをジョージは見せたかった。しかし新日本やテレビ朝日はタイガーマスクのようなキャラを期待していた。コブラがしくじった理由は本人の望んでいた方向と、新日本やテレビ朝日、またファンとの方向性の違いが原因だったからかもしれない。

キッド、スミスが全日本プロレスへ移籍したため、コブラはブラック・タイガーとMSGで王座決定戦を行って破り、初代タイガーマスクに次ぐNWA、WWFジュニアの二冠王となり、ヒロ斎藤と抗争を繰り広げるも、コブラの試合はテレビマッチで放送される機会もなく、ヒロとの抗争もテレビすら放送しなかった。ヒロも新日本プロレスを離脱してしまい、新日本プロレスもWWFと提携を解消したことで両王座は返上してしまった。それに伴ってIWGPジュニアヘビー級王座が新設、王座決定リーグ戦が行われ、コブラは優勝決定戦に進出して全日本プロレスから移籍した越中詩郎と対戦したが、スペース・フライング・タイガー・ドロップは飛距離が足りずに失敗し、ダイビングボディープレスも剣山で迎撃されたコブラは越中のジャーマンスープレックスホールドに敗れ王座奪取に失敗する。また越中がUWFから出戻っていた髙田延彦と抗争に入ったことで、ジュニアの中心が二人に代わってしまい、コブラは越中を破って2代目王者となった高田伸彦と対戦したが、両者リングアウトで王座は奪えず、「キング・コブラになって帰ってくる」と言い残し、ザ・コブラは消え、ヘビー級へと転向した高野がリングに登場した。

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昭和58年11月3日蔵前国技館、初代タイガーマスクが引退に伴い、空位となったNWA世界ジュニアヘビー級王座を巡ってザ・コブラとザ・バンビートの間で王座決定戦が行われた。(この試合は新日本プロレスワールドで視聴できます)

昭和の新日本プロレスのジュニア戦線で活躍した覆面レスラー、ザ・コブラが復活した。新日時代は宿敵だったヒロ斉藤(56)とタッグを組んでブラック・タイガー、KENSO(43)と対戦。試合は斉藤がタイガーを抑え、勝利した。


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そこで目を付けたのはコブラで新日本はポスト・タイガーマスクとしてコブラを売り出すことになり、ジョージに帰国命令を出すが、カルガリーでの居心地の良さもあって本人は帰国を辞退するがm尊敬する猪木の説得もあって世話になった俊二を置き去りにして帰国、帰国時には成田空港でマスク姿のコブラが登場、インタビュアーが突撃取材をするも、コブラはノーコメントであくまで謎のマスクマンで通したが、それだけ新日本プロレスだけでなく、テレビ朝日もコブラに期待をかけるも、一部のファンは正体はジョージであることに気づいていた。

ザ・コブラ復活の大ハッスル「またリングに立たせてもらって感謝」

コブラの正体はカルガリーマットで修行していたジョージ高野で、コブラはヒールのマスクマンとしてダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミスらと抗争を展開していた。昭和58年8月にアントニオ猪木、藤波辰己ら新日本勢が遠征に来ると、コブラは小林邦昭と組んでスミス、ブルース・ハート組と対戦、華麗な空中殺法を披露、この模様はワールドプロレスリングでも放送されたが、高野も新日本が初代タイガーマスクの突然の引退で大揺れだったことを知る由はなかった。

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全盛期の体重は99キロ。この日、リングに登場した姿は、明らかに増量していた。20日の試合後、記事と写真をネット配信すると主に批判的なコメントが殺到した。コブラ自身は「見た方の印象で。徐々にリングに慣れていくといい試合につながるっていけると考えています」と気にする様子はなかった。そう言えば、試合前、ジョージも全盛期と比べてお腹の辺りが明らかに膨張していた。そのことを聞くと「ヘビー級になりたくてSWSへ行ったので、そのままの流れで今の体になっています。まぁ、不安はありません。いい試合につながると考えています」とコブラと同じ言葉を残していた。

【ドラディション】巨大化したザ・コブラが軽やかなフットワークで敵陣営を翻弄!<4.20後楽園> ..

ジョージ高野とザ・コブラ。2人とも味わい深い愛すべきプロレスラーだった。(記者コラム・福留 崇広)

COBRA「コブラ[ザ・サイコガン]」のフィギュア · マンガスケールフィギュア · COBRA「コブラ[ザ・サイコガン]」

この日の「ドラディション」では第4試合に昭和の新日本プロレスのジュニア戦線で活躍した覆面レスラー、ザ・コブラが復活した。新日時代は宿敵だったヒロ斉藤(56)とタッグを組んでブラック・タイガー、KENSO(43)と対戦。試合は斉藤がダイビングセントーンでタイガーを抑え、勝利した。コブラは1983年11月3日に新日本マットに出現。NWAとWWFのジュニア2冠に輝くなど85年6月まで斉藤、越中詩郎、高田延彦らと戦いを繰り広げた。

悲劇のマスクマン「ザ・コブラ」〜1983-86 新日本プロレス ジョージ高野

素顔に戻った高野だったが、新日本プロレスは高野を売り出そうとしなかったため中堅で燻るようになるも、それには理由があって高野はコブラ時代からプライベートで度々問題を起こしており、新日本プロレスも高野をトップレスラーとして扱うのには不適格と判断したからだった。新日本プロレスは武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋の闘魂三銃士を売り出すことになると、高野もさすがに居場所を失うが、そこで若松市政から誘いを受けてSWSへ移籍を決意するも、そもそもそれは最初は俊二に来た話で高野が横取りしてしまったのだ。

シェルビー・コブラ“デイトナ”クーペ, HW:ザ・ナインティーズ 96ポルシェ・カレラ, HW:ザ・ナインティーズ 90アキュラNSX

コブラに目を付けた新日本はポスト・タイガーマスクとしてコブラを売り出すことになり、ジョージに帰国命令を出すが、カルガリーでの居心地の良さもあって本人は帰国を辞退。しかし尊敬する猪木の説得もあって帰国を決意、帰国時には成田空港でマスク姿のコブラが登場、インタビュアーが突撃取材をするも、コブラはノーコメントであくまで謎のマスクマンで通したが、それだけ新日本プロレスだけでなく、テレビ朝日もコブラに期待をかけていた。

伝説のプロレスラー ザ・コブラ | mogura2号 のブログ

コブラの相手はこちらも謎のマスクマンであるザ・バンピートが務めることになったが、コブラはタイガーマスクやマスカラスのマスクを被った若手選手らが担ぐ白煙を噴く神輿に乗って、白いタキシードを身に纏い登場、コーナー昇ったコブラはバク宙を披露するも、すぐさまバンピートがコブラを襲撃、マスクを脱ぐと、ファンはダイナマイト・キッドだと思ってキッドコールを贈ったが、正体はキッドに似ていたスミスで、スミスはコブラはタキシードを脱いでいないコブラを場外へ追いやってボディースラムで叩きつけ、リングに戻ろうとするコブラにロープ越しのブレーンバスター、リフトアップスラムで場外に放り投げるなどコブラを徹底的に痛めつける。 改めて試合開始のゴングが鳴らされると、館内はコブラコールではなく「高野コール」が起きる。試合も期待されたコブラの空中戦は封じられ、グラウンド中心の攻防に終始、コブラが空中殺法を狙うと、スミスは受けようとしないなどの行為が目立ち、コブラの良さを引き出さずに自身の良さばかりをアピール、ジュニアらしい華麗な空中戦も攻防はなく、さすがの館内も野次が飛び始める。

コブラ』連載開始45周年記念 公式認定複製版画 · セイコー スペースインベーダー 45 ..

第4試合では、ザ・コブラが久々にリングに登場しヒロ斎藤とタッグを結成。KENSO&ブラック・タイガー組に往年のパワーファイトを見せつけ、最後はヒロ斎藤がダイビングセントーンを投下し勝利した。

初代タイガーvsザ・コブラ - 1996.11.20 虎vs蛇です。

弟で破壊力満点のドロップキックで「人間バズーカ砲」の異名を持つ高野拳磁の近況も聞いた。「彼は今、ロサンゼルスに住んでいます」と明かした。仕事を聞くと「この前も人命救助をして表彰されてましたよ」とこちらも充実しているようで、再び兄弟タッグでリングに登場する日はないのだろうか?と尋ねると「そういう機会があれば、ぜひとも実現させてみたいですね」と笑顔を浮かべていた。

- DVD、Blu-ray一覧 - · 新日本・全日本 外国人レスラー烈伝 Vol

試合後にザ・コブラは「尊敬する先輩のリングにあがれて光栄。ファンの声援をもっといただけるように良い試合して頑張っていきたい。ヒロ斎藤のおかげでコブラとして活躍できるようになったので感謝してる。メキシコではタッグを組んでいた。私はプロレスしかできないので、今後も戦っていきたい。コブラとしてこれから伸びる後輩たちの糧になれればと思っています」とコメントした。

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コブラは1983年11月3日に新日本マットに出現。NWAとWWFのジュニア2冠に輝くなど85年6月まで斉藤、越中詩郎、高田延彦らと戦いを繰り広げた。