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ロッキー4、ランボー2、オーバーザトップ、あたりの一番カッコよかった頃のスタローン映画。ファッションとか車とか小物ととか、男が好きなキャラクター。この頃は、トムクルーズでも、シュワルツネガーでもなく、スタローンが一番だったなぁ。
敵役のナイフも独特で好き。高くて手が出なかったが、当時ナイフ欲しがっていた事、思い出した。
ロウマッチとかカッコいいんだよな。
離婚したから続編流れたのかな、、
マリオン・コブレッティ=コブラは街のチンピラも成敗してくれるから気持ちいい。
予告編で見るとこれが実に面白そうで、見てみると何にも残らないほどの軽さ。確かに、スタイリッシュでカッコいい、理屈抜きに悪いヤツをぶっ潰す勢いのある刑事役を、ちょうどキャリアの絶頂期にある肉体派の俳優が演じたら、それなりのアクションは出来あがるだろうよ。
なんて、突き放した見方をすれば、ただそれだけの映画。実際見終わってみて、印象に残ったのは、金髪の美人を、スタローンがやたら気に入ってたな、程度のこと。実際に、この二人はこの映画のあとに結婚し、そして泥沼の離婚劇を実演することになるのだ。
振り返ってみると、キャリアの途中に、結ばれたカップルの主演作がいくつかあるが、これもその一本。『デイズ・オブ・サンダー』のニコール・キッドマンとトム・クルーズ。『デアデビル』のジェニファー・ガーナーとベン・アフレックなどがそれに当てはまる。
2018.11.7
これは、割と大型な武器(マシンガン/サバイバルナイフ/弓)のイメージが強いランボーとの差別化をはかったものと思われますが、これにより、同じようなアクション映画でもランボーとは全く印象の異なる作品に仕上がっています。
過去に書いたcrying againをファミコン風にしました。
ラダーフレームにオープン2座ボディーを載せたACエースのエンジンを、英国フォードの2.6リッター直6から米国フォードの4.2リッターV8エンジンに換装したコブラ260(Mk1)が1962年にデビュー。4.7リッターを積んだコブラ289(Mk2)を経て、1965年にはシャシーを改良し、拡幅されたグラマラスなボディーに最高出力425hpを発生する7リッターV8を積んだコブラ427が登場。1t少々の軽量な車体と相まって、最高速度280km/h以上、0-400m加速12.2秒という、まさに敵なしの圧倒的な性能を誇った。
オリジナルコブラの生産台数は全モデルを合わせても1000台に満たないが、生産終了後も人気は衰えず、構造がシンプルなこともあって多くのレプリカが作られている。またキャロル・シェルビー自身が1980年代後半に開始した、残っていたオリジナルパーツと新規製作パーツを組み合わせたコブラ427の継続生産モデルも存在する。
出来れば、チャック・ノリスと組んだアクション映画も観たかった🥲
この映画には、豪華スターが勢揃いし、『バットマン』シリーズや『アメリカン・サイコ』の「クリスチャン・ベール」が、「フォード・モーター」の「GT40」開発の中心人物であり、テスト・ドライバーも務めたレーシング・ドライバーには、「ケン・マイルズ」役を演じる。ドラマ『パニッシャー』の「ジョン・バーンサル」は、当時「フォード・モーター」の副社長だった「リー・アイアコッカ」役です。おいしい「キャロル・シェルビー」役を射止めたのは、「マット・デイモン」です。この前「マット・デイモン」が運転する場面を見たのは、火星をドライブした『オデッセイ』や、クルマで階段を駆け下りた『ボーン』シリーズでした。監督は映画『LOGAN/ローガン』の「ジェームズ・マンゴールド」、そして主演は「マット・デイモン」と「クリスチャン・ベイル」が務める。「20世紀フォックス」は、もともと、「A・J・ベイム」の著書「Go Like Hell: Ford, Ferrari, and Their Battle for Speed and Glory at Le Mans(邦題:フォード vs フェラーリ 伝説のル・マン)」を映画化する予定で版権を取得し、一時期「マイケル・マン」と「ジョセフ・コシンスキー」らが興味を示したものものの、企画倒れに終わったいたようです。その後、「レジェンダリー・エンターテインメント」が版権を取得し、現在テレビシリーズとして企画されている模様です。一方、「20世紀フォックス」は同書をソースにはできないため、新たなソースから新解釈を試み、企画を進めていました。「ジェームズ・マンゴールド」監督は、新聞王「ウィリアム・ランドルフ・ハースト」の孫娘「パトリシア・ハースト」の誘拐事件を描く、「20世紀フォックス」の新作でメガホンをとる予定だったが、映画が「パトリシア・ハースト」非公認の回顧録をもとにしていることから、「パトリシア・ハースト」本人から抗議を受け製作中止となったということです。今回のカーレース映画のほかに、「ジェームズ・マンゴールド」監督は、「LOGAN ローガン」スピンオフで、ミュータントのX-23に焦点をあてる新作「ローラ(仮題)」などが控えているようです。
スタローン脚本史上でも上位に入るであろう手抜き感がある本作、しかしシンプルな映画ゆえにスタローンのカッコよさが際立っているとも言える。
全体的にストーリーが雑な上にめっちゃ薄いかなり酷い映画のようにも思えます
映画のタイトルにもなっているグラントリノだが、じつは映画公開前までは熱心なマッスルカーファン以外からは半ば忘れられた存在であった。人気で言えば同じフォードのマスタングが圧倒していたし、シボレー・カマロやポンティアック・ファイアーバード、ダッジ・チャレンジャーやプリマス・バラクーダなどと比べてもいささか影が薄い。それというのもグラントリノが純粋なスポーツモデルとして製作されたクルマではなかったからだ。
イギリスの自動車メーカーであるACカーズと、ルマン優勝経験のあるアメリカ人レーシングドライバーのキャロル・シェルビーが、現役引退後に設立したシェルビー・アメリカンのコラボレーションによるアングロ・アメリカン・スポーツカー。コブラ(cobra)とは「熱帯・亜熱帯に生息する毒ヘビ(特に威嚇するときに前半身を立てえりの部分を平らに広げる種類)」を指す英語。その強烈なパフォーマンスをコブラの猛毒にたとえたのだろう。
自分の命を懸けてまで対決し成敗してくれるコブラをいまだに見たくなる。
この映画のテーマは「古き良きアメリカの終焉と再生」だ。映画を単なる「昔は良かった」という回顧趣味で終わらせることなく、往時の豊かで強いアメリカの裏側にあった闇の部分……朝鮮戦争やベトナム戦争、そして現代アメリカに横たわる移民問題や人種問題、家族との断絶などにもメスを入れている。
コブラはバイクの後ろにイングリットを乗せ、ロサンゼルスに向かう。
『コブラ』は1986年に公開されたシルベスター・スタローン主演のアクション映画。監督は『ランボー・怒りの脱出』を監督したジョージ・P・コスマトス。原作はポーラ・ゴスリングの小説『逃げるアヒル』で、1995年には同じ原作を基にした別作品が『フェア・ゲーム』のタイトルで映画化されている。
第204回:秋の夜長に観たい! 肩のこらないクルマ映画DVD3選
本作の内容は「スタ氏演じるが美人モデルを守りながら悪い奴らをブッ殺す」と一行で言えてしまう。あとは他のスタ映画に比べてオシャレ度が高いのが特徴。
冒頭ののナレーション「カでは11秒に1件の割合で強盗が起き……65秒に1件ほど強盗が発生する……。凶悪犯罪は25秒に1件……。24分に1人の割合で人が殺され……レイプは一日250件起きている……!!」
治安ワルワル80年代カのロサンゼルス。どいつもこいつもキ○ガイだ。
日本にいるからわからないが誰でも銃が買える国に住んでたら恐ろしいな。でも日本でも包丁やら絞殺やら殺人しようと思えば誰でもできるが、それにしたって指をくいっと曲げるだけで人が死ぬ感触を感じぬまま殺人できる銃が買えまくってしまうというのはやはり怖い。カ文化は全般的に好きだが住みたくはない。怖いもん。
冒頭で、人殺しや盗みなどやりたい放題の強盗がスーパーマーケットで暴れ、性を人質にして立てこもっている。いわゆる無敵の人。
ロス市警の警部補モンテ(アンドリュー・ロビンソン)が説得を試みるが上手くいかない。この作品は、スタローン版『』(1971)を目指して制作されたらしい。「『』って何だ?」という新人類(80年代に流行った若者の呼び方)のために説明すると「演じるハリー・キャラハン刑事が、決定的な証拠がなく無罪になった凶悪犯スコルピオの、次の犯行を止めるため」という名作。そんなで凶悪な悪役スコルピオを演じた俳優が本作で嫌味な警部補モンテを演じている。あとハリーの相棒を演じてた俳優がの相棒を演じているらしいがハリー相棒の顔すっかり忘れてたから今読むまで気づかなかった。それにしてもに書かれてる情報をそのまま映画の感想ブログに書くって時間の無駄で虚しい行為だ、ついでに言うとあらすじ説明してるくだりも無駄だよね、観てない人が読んだら文章の意味が繋がらんから書いてるだけでね。だが「被害者の人権は誰が守るのか?」という問いかけやカッコいいシーンの数々で映画史に残る名作となった『』と違い、本作は『』から「難しい問いかけ」や斬新さを全て省いた「お洒落な家に住むスタローンがっぽく悪役ブッ殺して、かっけぇ」と思わせるだけのスタ氏映画……スタ氏ポルノに過ぎない。だが『』もスタ氏も好きな自分としては別に問題ない。そもそもを最初から大層なもんだと思って観てないしね。
話を戻そう。穏健派の警部補モンテの説得は上手くいかない。そこへ同じくロス市警から、〈〉の異名を持つ刑事マリオン・コブレッティ()が急行。爪楊枝を咥えたタレ目サングラスの刑事。
は、めちゃくちゃ良い感じで俺も家に飾りたい感じの巨大立体広告に身を潜め、落ちてる缶ビールを一口飲んで缶を強盗に投げて注意を引く。注意を引くためというよりはカッコいいからそうしたといった感じだ。
「お前は意味もなく人を殺した。今度はお前の番だ」
僕らはが「治安が悪すぎる世界の正義のヒーロー」だと知ってるので問題ないが、投降を呼びかけるのではなく最初っから「お前を殺す!」と犯人に呼びかけ、はちゃめちゃデカを印象づける。
強盗は「TVカメラを呼んで俺の主張を放送させろ!でないと爆弾でこの店ごと吹っ飛ばしてやる!」と要求を出してくる。は型破りデカなので「爆破?やれよ。俺の店じゃねえしな」「れた奴とは取引しねえ」と取り合わない。
犯人は「俺はれてねえ!新世界の救世主だ!」と叫ぶが
「お前は病気だよ。俺が治してやる」
と言い、投げナイフを強盗の胸に根本までブッ刺して(致命傷)、犯人が断末魔のようにショットガンぶっ放さないように6発ブチ込む(トドメ)。やったぜ。
この台詞は多分『』冒頭の名言「弾が残ってるか賭けてみるか?クソ野郎」をスタ氏が自分流にやりたかったんだろうね。しかし「れた奴の治療=殺すしかない」という、この台詞は今だと問題になりそうだ。
外に出たは、犯人を捕えず射殺した事を新聞記者に責められる。怒ったは記者を引きずっていき被害者の死体を見せて「被害者の遺族にそう言ってやれぃ!」と凄む。この映画は「加害者の」等について考えさせる映画ではなく、悪い奴らを殺すスタ氏の活躍を堪能する映画でしかないのでこういった「加害者の」問題は以降語られない。とにかく「生まれた時から悪い生物として生まれたとしか思えない悪い殺人鬼」がウヨウヨしてるので「正義の暴力刑事」が、そいつらをブッ殺す、それだけ。
は帰宅。近所に不良がたむろしてるので車をぶつけたり「煙草は身体に悪いからやめろ」と言って不良が吸ってる煙草をむしり取るなどの威圧行為。が爪楊枝を咥えてるのも煙草をやめたからか?現実の当時のスタ氏も煙草をやめたのかも?。不良はにビビって歯向かえない。地元の不良をおとなしくさせる。それは良いが、ついでのように立ち去る時に「じゃあな……」と言って不良のTシャツをビリビリに引きちぎって立ち去るのが地味にひどい。
自分が不良なら「な、なんで破った!?なんでシャツやぶったぁ!」と半泣きになりそうだ。
は白い自宅に帰る。この邸が異常にカッコいい。窓からは白い建物が並ぶロサンゼルスの街が一望でき、その建物らは夕陽でオレンジ色に染まっている。家具は全部真っ白。これ観て「そういえば80年代の幼少期、姉がやたら白い家具を欲しがってな」という遠い記憶が蘇った。当時はカ映画やMTVが全ての憧れ最先端だったのでのお洒落な家を観て懐かしい気分になった。昔住んでた実家の写真を見ても感慨深くないのに当時の映画を観る方が「あ、これこれ」と感じ入ってしまうのが不思議だ。当時から現実の自分の環境よりフィクションの中の方がリアルって事なのか。他にもが行く先々が、今ではもう見れない「治安の悪い80年代カ映画でしか見れない景色」の数々で、最初に書いた通り、本作自体は平凡な映画なんだけど全体的に背景がカッコよくて場が持って観れるわぁ。数年前、ひさしぶりに観た時に、映画自体も楽しいがそれより80年代の景色のカッコよさ懐かしさに目を奪われた事を思い出した。景色の綺麗さだけじゃなく「これから先、自分はまだまだ生きる、何にでもなれる」という夢や希望込みで映画を観ていた当時の根拠なき万能感までもが数十年ぶりに自分の脳内に蘇ってくるから快感を感じさせるのかもね。でもこんな感じで昔の作品とかで懐かしむのは空虚な行為で嫌いなのだが、そう感じてしまうのは本能みたいなもんでどうしようもない。今現在のキッズも40年後にの映像とか観て今の俺と同じ様に何とも言えない気分になるのかな?そしてその時の俺は80代の死にかけだと思うと面白いね。そして40年後のキッズが更に40年後に何を観て懐かしむのかは自分が死ぬから知れないのが悔しい。普段からよく言ってるんですけど、寿命は最低400年、出来れば4000年は欲しい。俺が死ぬまでに広大なに自分の意識と記憶を移して半不老不死の存在になりたいもんですわ。
は銃の手入れしながら食いかけのピザを食う。一切れだけ残ったピザをハサミで更に小さく切りカチカチのそれを食う。このシーン有名だから知ってたわ。それにしても小さい一切れのピザを一旦、手に持ったんだからそのまま齧って置けばそれでいいものを、何故わざわざハサミで切るのか意味わかんなくない?80年代だから調理用のじゃなく普通の文房具としてのハサミだし「ハサミは綺麗なのか?」という衛生面がまず気になるし、ピザ切った後でハサミも洗わなきゃならん。無駄な行為で、やはりそのまま齧った方がいい(独り暮らしが長い人の考え方)。このシーンは恐らく「凶悪犯罪を追う事で頭がいっぱいのは食うことに頓着してない」という「ハードボイルドでかっこいい刑事」という雰囲気を強調するための演出だろう。だがその演出は正解、確かにトある。公開当時に子供の自分が観てたら確実に真似してカチカチピザをハサミで切りたくなってた。
だがこの直後、お菓子を食う相棒と会った時に「砂糖の摂り過ぎはよくねえ。レーズンや魚や米を食え」と実家の母親みたいな事を言い出して相棒を呆れさせる。あれ?食い物に頓着しないわけじゃなかったんだ。そういえば喫煙にもうるさかったしはよくわかんない男だ。まとめると「自分のキャラ付けに一生懸命な男」といった感じか。
Sスタローンの昔の映画「コブラ」のカーアクション。 その後迫力のあるカーアクション映画は数多く出ましたが、 これは今見ても熱くなりますw.
舞台はアメリカ、ロサンゼルス。残虐な殺人鬼ナイト・スラッシャー率いる狂気の集団が、毎日のように凶悪犯罪を繰り返している危険な街。対凶悪犯罪のスペシャリストで型破りな刑事マリオン・コブレッティ(通称コブラ)は、相棒のトニー・ゴンザレスと共に殺人鬼集団を追っていました。ある夜、モデルのイングリッド・ヌードセンが偶然スラッシャーの顔をはっきり見てしまいます。イングリッドは気にせず車で走り去りますが、スラッシャーが目撃者を生かしておくはずはなく、イングリッドは命を狙われることになります。
【コブラ】スタローンの愛車マーキュリーに関する面白い雑学#shorts
恐ろしく強いのはアクション映画の主人公として当然として、他者に迎合しない豪快さ(気に入らない上司はぶん殴る!)や傍若無人さ(邪魔な車は押しのけて駐車し、文句を言ってきた相手に逆ギレ!)がある反面、細かな所でちょっと神経質(女っぽい名前を気にしてる/他人の食生活に厳しい)だったりと、カッコイイんだが変なんだかよく分からない魅力があります。
コブラは、警察とは思えない銃武装と改造車を駆使してたった一人で襲撃者と渡り合う。
この解説記事には映画「コブラ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
これを忘れていた!映画「コブラ」のマーキュリー!車もスタローンも両方カッコいい! #好きな劇中車.
まだ前半までしか書いてないが疲れてきたので一気にまとめに入ろう。
は、狂信的なグループ〈ナイト・スラッシャー〉による凶悪な連続殺人事件が頻発している事を知り、何としても自分が奴らを止めたい……と思う。一言で言うと「『奴ら』をブッ殺したい」の一言に尽きる。
スコルピオの人が演じる嫌味な警部補モンテは「が出張ってきたら死体の山が出来ます!」と上司に述べ、を捜査から排斥したがっている。
このモンテ警部、本作を観ている当時のスタ氏ファンやキッズたら「正義のを邪魔する頭の固い意地悪な同僚!」という役。そもそも「『』のスコルピオ」という、当時としてはこの世の悪を一人のキャラに凝縮したかの如き、とんでもないを演じた男を配してる事て「こいつを悪く思ってくだせぇ!」と言わんばかりだ。
だがモンテ警部は、顔や言い方が嫌味なだけで「なるべく殺さずに説得して投降させよう」「はすぐ殺すから参加させたくない」などと、言ってることは正しいのが面白い。『』でイキって出しゃばって殺されるン妻の同僚みたいなウザキャラと違う。
中盤で犯人の辺りを付けたに対してモンテ警部は「犯人を捕まえるには証拠がいる。証拠はあるのか!?」と「嫌味」を言う。「正義のに小うるさい事を言う嫌味なモンテ」という場面だが、モンテの言うことが正しすぎて頭くらくらしてくる。本作を観てる我々からするとの読みは合ってると知ってるのだが現実的に考えるとは「あいつら怪しいからブッ殺そう」と主観的に言ってるだけで同僚としては止めざるを得ないよね。モンテ警部も前半の事を「嫌いなわけじゃないんですよ、思想が違うだけでね」とか言ってたしね。この映画はの主観を劇映画化したかのような内容なのでモンテが嫌味なのもの主観ってだけで、の主観フィルターを外すと至って真面目で常識的な刑事なのかも……と思うと本作の面白さが増すのでおすすめ。