Netflixオリジナルシリーズ「コブラ会」シーズン1第5話の感想です。
の誰にとっても一般的な経験則 コブラ会 宇宙:決して、 これまで アマンダラルッソーを怒らせる。
という事で、「ベスト・キッド」ファンにはたまらない作品となっています。
その後、コブラ会の一員となったトリー(ペイトン・リスト)といい感じになりつつも、パーティーの弾みでサムとキスしてしまい、その様子をトリーが目撃。この痴情のもつれを発端に学校でコブラ会vsミヤギ道の大乱闘が起きると、その最中に2階から階段の手すりに背中から叩きつけられ、一時的に下半身不随になる大怪我を負うことに。
二度と歩けなくないかもしれない状況のなか、スパルタ特訓により再び立ち上がると、ジョニーが新設したイーグルファングカラテのエースとして復活。コブラ会の打倒という目的でミヤギ道とイーグルファングが手を取り合うなかで、サムとも復縁。かと思えば、パーティーでのおいたがバレて距離を置かれたりと、付かず離れずを繰り返し、シーズン5のラストでついに元鞘に収まった。
『コブラ会』シーズン3 予告編 – Netflix(YouTube)
確かに、それは別の言い方です。 クリステン・ウィグ主導の2012年のドラマ 最も可能性の高い女の子 とポリーデイパーの2018年インディー ステラの最後の週末 、しかしうまくいけば、私たちは彼女の最後を見ていません コブラ会 。
そんなミゲルのライバルとなるのが、ジョニーの息子ロビーだ。親の離婚後、酒浸りの母のもとで荒れた生活を送っていた不良のロビーは、ミゲルを子どものようにかわいがるジョニーへの復讐のためにダニエルに接近。そこで人間として接してくれるダニエルにほだされ、彼の家に居候しながら空手を学んでいく。
大会では惜しくもミゲルに敗れたものの、父親譲りのセンスで力をつけていくロビーだったが、学校での騒動の際にミゲルを階段から突き落としてしまい行方不明に。その後「自首すれば罪が軽くなる」と説得するダニエルが呼んだ警察に捕まると、この一件でダニエルとミゲルのリハビリに付きっきりのジョニーに失望。さらに少年院出所後、親しげにするミゲルとサムを目の当たりにし、クリーズの支配するコブラ会の一員になってしまう。
という事で、「ベスト・キッド」ファンにはたまらない作品となっています。
共にコブラ会を牽引する似た者同士のトリーと恋人になるロビーだが、“情け無用”を強要するクリーズ&シルバーの行き過ぎた指導によって、いじめられっ子の転校生ケニー(ダラス・デュプリー・ヤング)が残酷になるのを目の当たりにしコブラ会と決別。父ジョニーと仲直りを果たし、空手では師のダニエルのミヤギ道へと戻り、ケジメをつけていく。
1984年の名作映画「ベスト・キッド」の続編となるドラマシリーズ「コブラ会」。
高校時代から空手のライバルであるダニエルとジョニーの、30年後のストーリーが描かれます。
2018年から配信が始まった「コブラ会」も、遂に最終章のシーズン6に突入。
三部構成で配信されるシーズン6のパート2が、2024年11月15日から始まります。
そこで、既に配信されているシーズン6のパート1からNG集が公開され、それをキャスト陣が視聴する動画がアップされました。
Netflixオリジナルドラマ『コブラ会』シーズン5を紹介します。
【🎥 関連動画 】
『コブラ会』シーズン6 キャスト再集結 - Netflix
1.9万回視聴|1年前#TUDUM
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### ★ 1番目のコメント###
2018年、YouTube Redのオリジナルコンテンツとして注目を集め、その後、Netflixで世界中で人気を博した「コブラ会」。(ダニエル役)、(ジョニー役)、(ダニエルの妻・アマンダ役)、バネッサ・ルビオ(カルメン役)らが、Netflix主催のQ&Aに参加し、同作の第4シーズンについて語った。(取材・文/細木信宏 Nobuhiro Hosoki)
Netflixにて2021年12月31日から配信のドラマ『コブラ会』シーズン4を紹介します。
部屋に集まった出演者たちは、それぞれが手にポップコーンやジュースを持っており、ホームパーティーさながらの様子。
NG集は、セリフを忘れてしまったシーンや、後ろに映っているキャストが思わず笑ってしまった場面、道場名を言い間違えたテイクなど、この作品ならではのNGシーンも収録されています。
次々と流れるミステイクに、キャスト陣は思わず画面を指さしたり、突っ込みを入れたりしながら大盛り上がり。和気あいあいとしている様子が、仲の良さを感じさせます。
なかでも一際盛り上がったのは、ホークが取った旗をディミトリが蹴って落とすシーン。
本来であれば、落ちた旗をふたりで取りあう流れですが、蹴った旗がひらひらと舞ってホークの手元に戻ってしまいました。
これには、キャスト陣も膝を叩いて大笑い。本来はピリつくシーンだっただけに、その落差が面白いです。
紹介されたNGシーンが本当はどういうシーンだったのかを確認しながら、本編を見てみるのも面白いかもしれません。
ぜひ、Netflixで「コブラ会」をお楽しみください♪
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シリーズ4では、映画「ベスト・キッド3」のテリー・シルバーが登場。またまた胸熱です。
コブラ会を乗っ取って、というか奪還して先生に返り咲いた。ジョニーが先生だったころにいた気の弱い生徒を一掃して、を加入させます。を中心にして、"NO MERCY!(情けは無用!)"の精神をより先鋭化させていきます。クリーズのベトナム戦争時代の強烈な過去も最終話で明らかになって、そりゃあ、コブラ会って道場名をつけるよなあという感じでした。
「コブラ会」のクリエイターは、各パートを “ミニシーズン”として捉えるよう視聴者へ訴えている。
“Cobra Kai”は、負け犬ジョニーの34年後の人生を笑いと感動で描く『ベスト・キッド』の続編ドラマ。
『ベスト・キッド』未経験の人も楽しめる、宝物のように心に残る作品なのだ!
そもそもサムがすぎるのが事の発端になってるので、どうもこのキャラ嫌いなんだよね。
9月9日よりNetflixにてシーズン5が配信されたばかりの人気ドラマ「コブラ会」。本作は80年代に大ヒットした「ベスト・キッド」シリーズの主人公ダニエル・ラルーソー(ラルフ・マッチオ)とライバルのジョニー・ロレンス(ウィリアム・ザブカ)のその後を同キャストで描き、因縁の大会から30年以上が経ち大人になった2人が空手の指導者として再び火花を散らすという1作だ。
ここ数年、ヒット作の続編やリブート、スピンオフが大量に作られ、一つの金脈コンテンツとなっているなか、オリジナルの人気に肖った懐古趣味な作品になることもしばしば…。しかし「コブラ会」は、単なるオールドファンに向けただけの作品ではなく、むしろ過去の映画シリーズの価値すら昇華させるような1作となっている。シリーズも終わりに近づき盛り上がりを見せているいま、改めてその魅力を紹介していきたい。
そんなとき、サムの母が来店したせいで、トリーはバイト先を首になってしまう。
ジュリア・マッチオは彼女を作りました コブラ会 新シーズンの第8話でデビューし、大学院生のいとこヴァネッサをベテランのプロの大群で描いた。いつも楽しいアマンダラルッソによってマリサトメイジュニアとも呼ばれ、現在子供の心理学を研究しているヴァネッサは、アンソニーラルッソの最近の行動の問題でダニエルとアマンダを助けようとしています。ヴァネッサの状況の評価は、ほとんどすぐにアマンダをランク付けします。アマンダは、若い大学院生に、金魚よりも大きなものの世話をしたことがあるかどうかを尋ねます。
『コブラ会』を観ると、映画『ベスト・キッドThe Karate Kid』が気になってきます。
1984年、空手大会の決勝でダニエルに負けたジョニーは酒に溺れ、惨めな生活を送っていた。そんな彼はある日、不良グループに暴行されていた少年ミゲルを助けたことから、かつて自身が所属していたコブラ会を再開させる。その一方で、カーディラーとして成功を収めていたダニエルは、師匠のミヤギの思いを受け継ぎ、自身の娘を含めた次世代に“ミヤギ道”を伝授していく。
「ベスト・キッド」を観ていた視聴者は絶対怒りを覚えたでしょう!
日本から帰国したはビジネス面の不安も解消できて、中断していたミヤギ道場の再開を決意。かつてダニエルがジョニーと戦った試合会場に連れて行かれて恐怖に打ち勝つように勇気づけられた娘のサマンサは、。はコブラ会道場に殴り込みに行って警察から接近禁止命令を出されたり、を買収して道場を立ち退かせようとしますが不動産屋の用心棒がクリーズに返り討ちに遭ったり、と勝ち気な性格による行動が全て裏目に。
80年代感が漂っている『コブラ会 cobura kai』は、逆に新鮮。
ダニエルの新相棒が家に住み込むことになり、アマンダの堪忍袋の緒が切れる。ミゲルはメキシコで父親捜しを開始し、テリーはコブラ会改革に着手する。
踏ん切りがついたシルバーは、コブラ会の先生として稽古に参加する。
数多くのキャラクターにスポットが当てられる「コブラ会」だが、そのなかで主人公となるのが『ベスト・キッド』(84)でダニエルのことをいじめていた悪役のジョニー。34年前の空手大会決勝でダニエルに負けたことで人生が狂ったジョニーは酒に溺れる惨めな生活を送っていた。そんなある日、不良グループにいじめられている近所の少年ミゲルを助けたところ、空手を教えてほしいと頼まれ、空手道場「コブラ会」を復活させることになる。
いじめられっ子のミゲルが空手と出会ったことで自信をつけていく負け犬の逆転劇や、子どもたちの恋愛模様といった『ベスト・キッド』でおなじみの要素はもちろん、憎きコブラ会の復活を懸念し、ミヤギ道空手を再興させ対抗してくるダニエルをはじめとする過去の因縁が絡み合いながらストーリーは進んでいく。
サムらは旧コブラ道場で監視カメラの映像をゲットしようとしていた。
1984年に公開された映画『ベスト・キッド』は、いじめられっ子の少年ダニエルが、空手の達人であるミヤギさんに出会い、空手を通じて成長していくストーリー。
2人で稽古しょうとすると、そこにサムが現れる。一緒に稽古したいってさ。
大ヒット「コブラ会」が シーズン6の第3弾として復活した。ジョシュ・ヒールド、ジョン・ハーウィッツ、ヘイデン・シュロスバーグが脚本とプロデュースを手掛けた今シーズンは、名誉ある 空手の世界大会「世界 空手道選手権大会」を前に、先生と生徒たちに新たな冒険を約束する。ラルフ・マッチオとウィリアム・ザブカは、アクション、ドラマ、コメディが融合したシリーズで、象徴的な役を再び演じる。
YouTubeRedのオリジナルコンテンツとして注目を集め、その後、Netflixで世界中で人気を博した「コブラ会 ..
シーズン2からは、登場人物たちのしょうもない三角関係や、会話や情報伝達が不足によるくだらない誤解による大騒動と悲劇、映画だったらすぐに解決しそうな問題をシーズンの最後まで持ち越してそれでも解決させない……といった、連続ドラマにありがちな欠点も目立ってくる。物語を引き伸ばすために大問題の解決は後まわしにしつづけながら、間を持たせるために小事件は常に起こしつづけなければいけない、という構造上、トラブルメーカーの役割を担わされて観客から嫌われる登場人物が目立ってくるのも、なんというか実にカン・ドラマという感じ。
ホークやトリーもなかなか厄介だが、とくにサムがひどい。男を二股にかける自己中心的な性格をしているのに正論を語り、騒動を起こしてはミゲルやディミトリがケガをする原因を作りつつ、自分はすぐに被害者ぶって周囲の大人から甘やかされる、と視聴者の感情を逆撫でしてばっかりの実にストレスフルなキャターだ。のサジェストで「嫌い」が出てくるのも納得である。
とはいえ、サム、そしてその父親ダニエル・ラルーソーの「偽善」や「独善」が強調されるのは、もともとの『』では「悪役」だったジョニーを主役に据えたこの作品においては必然性のある描写だともいるだろう。
ティ―ンエイジのかわいらしい男の子・女の子やイケメンが多数登場する作品であるが、『会』の最大の魅力は、ジョニー・ロレンスという主人公の造形にある。世間の流行どころかインターネットややパソコンすらまったく使い方を知らない「おバカ」でありながらも、ミゲルやその他のいじめられっ子が立ち上がる武器として空手の技術を教えるだけでなく、彼らが非行にはしりそうになったときにはどうやってモラルを教えて更生させられるかをひとりで考えて悩みながら実行する彼の姿は、実にいじましくて素直で、好感が抱ける。感情表現がヘタであったり言葉足らずであったり直情的で近視眼的であったりするために様々な失敗を犯し、弟子は過去の師匠に奪われて恋愛はまわり道で実の息子のロビーとの関係もうまくいかなくてと失敗続きであるところも、むしろ共感の対象となる。これほど「不器用」なキャターは昨今では珍しい。そしてジョニーの最大の魅力は、「偽善」や「正論」とは無縁であることだ。ダニエルとはちがい、彼がミゲルやロビーに説教をしたり教えを説くときには、その言葉が借りてきたものではなく悩みながら自分の頭で必死に考えたものであることが伝わってくる。世間的な権威や正論とは無縁なジョニーであるからこそ、何十歳も年下の子どもたちと対等の立場からメッセージを発して、それが受け止められるのだ。……まあそのメッセージが間違っていることもあるために余計なトラブルや惨事が起こったりもするのだけれど。
シーズン3における、(ジョニーによる教えが一因ともなりながら)学校での乱闘の果てにケガをして生活を余儀なくされることになったミゲルの「リハビリ」をジョニーが手伝うくだりは、とくに感動的だ。現実にやったら問題になること間違いなしの根性論でスパルタなリハビリによってミゲルが回復する過程にリアリティはまったくなく、「エロ本で(文字通りに)釣って立ち上がらせようとする」場面などのバカバカしさもすごいものだが、ジョニーの善意とそれをミゲルが受け止める様子が実に暖かなのだ。ミゲルが「お返し」をするようにファッションやデートなどについてジョニーにアドするところも好ましい。
ジョニーとミゲルの関係は、論者が喜びそうな「男性同士のケア」関係でもある。しかし、理想的なファンタであることは間違いなくても、彼らの関係性の描かれ方に偽善性や押し付けがましさは不思議とない。ひとつは、先述した通りおバカであり、『』が公開された1980年代からファッションセンスも知識も価値観もほとんどアップデートされておらず、まったく「コレクト」でないジョニーのキャター性によるものだろう。無知であり余計なや思い込みを持たないからこそ、目の前の問題を直視して相手に対して素直に関われて、まわり道をしながらもミゲルを救済したり治癒したりするなどの「正解」にたどり着けるという点では、『』と同じくジョニー・ロレンスもカのの伝統を正しく受け継ぐキャターなのだ。
もうひとつは、「男性同士のケア」を「師弟関係」や通じて描いていることだ。男性同士のケアがありうるとしても、それは友人同士や同輩などの横並び関係ではなく、「メンター/メン」や「先輩/後輩」など「縦」の関係のほうで成立しやすい、というのはよく言われることである。女性は男性と比べて同列の同性に対してはつい張り合ったりマウントをとってしまったりして本音を明かせないが、縦の関係ならその傾向が緩和されて、上の側にいる男も下の側にいる男も本音を打ち明けやすくなる、ということだ。これはわたしも大学時代のサークルや職場のことを思い出すとうなずけるところがあるし、部活をしていた人にも心当たりがあるのではないだろうか。考えてみれば、同じく「男性同士のケア」を描いた『幸せへのまわり道』も基本的には「メンター/メン」という関係であった。そういう点で、ジョニーとミゲルの関係は、バカバカしいファンタでありながらもある種の「リアリティ」を含んでいるといえるのだ。
「空手」という格闘技を題材としており、ンエイジャー同士の喧嘩や乱闘が何度も繰り返される『会』では、必然と「有害な男らしさ」という問題も関わってくる(トリーをはじめとする女子も喧嘩に加わるが、まああんな血の気の多い女の子ってリアルだとほとんどいないし、ストーリーの都合上女子にされているだけで彼女もほとんど男子みたいなものだ)。ジョニーやダニエルやクリースなどの師匠たちも、ミゲルやロビー(やサム)などの準主役の弟子たちもそれぞれに「有害な男らしさ」の問題を抱えているが、とくに印象的なのはホークの扱いだ。彼は、空手を習って暴力を手に入れるだけでなく髪を派手なモヒカンにしたり入れ墨を入れたりするなど全方位に「男らしさ」を獲得することで、いじめられている状況から脱出して周囲を見返して子分とガーンドもゲットするが、こんどはその「男らしさ」が仇となって子分もガーンドも友人も失い、いじめっ子が空手を習ったことでせっかく身に付けた暴力も役に立たなくなってしまう。
……とはいえ、ホークというキャターの顛末には、「男らしさ」は有害であるとともに有益なものであることも示されている。結局のところ、まず彼は「男らしさ」を身に付けていなければ、なにもゲットできないじめられっ子のままでありつづけたのだ。同様の経緯はミゲルもたどっているし、過去にダニエルやジョニーがたどったものであり、これからクリースがたどるものでもあるだろう。要するに、男の子である以上は「男らしさ」に振り回されてもダメだけれど「男らしさ」をまったく持たないわけにもいかない、ということだ。空手を習うなどしながら、中庸に着地させる道を見つけるしかないのである。
『会』においては、アマンダ・ラルーソーやミゲルの母などの「母親」たちは、ダニエルとジョニーの不毛な張り合いや子どもたちの無益な争いからは距離をとったりそれを諫めたりする、賢明さや良識を体現する人物たちとして描かれている(シーズン3でアマンダがクリースにつっかかることでその構図も崩れてしまうけれど)。しかし、ホークがいじめられっ子であった時代の回想シーンで、彼の母親が「いじめを止めてもらうように学校に連絡する」というおそろしく無意味で逆効果な(でも"良識的"ではある)手段をとったように、母親的・女性的な「賢明さ」が男の子の問題を解決する上では無力であることを描いている点も優れている。
男らしさなりマッチョイズムなりの問題は、や論が登場する遥か以前から男として生きる人々には否が応でも気付かされてきたことであり、男性がつくる男性を主人公とした物語のなかでは様々なかたちで描かれつづけてきたことだ。そして、たいていの物事や事象がそうであるように、「男らしさ」には功罪の両方が存在する(同様に、「母性」や「良識」や「ケア」にだって、功罪の両方があるはずなのだ)。物語はそれが良質であればあるほど、「功」と「罪」の両方を見つめて描くことができるものなのである。
というわけで、『会』は人によってはポリコレドラマとして受け止められて、人によってはアンチポリコレドラマとして受け止められているようだ。『マッドマックス:怒りのデスロード』ですら作品であるか否かをめぐって解釈が割れているように、よい物語とは多義的な解釈を許すものである。
日本人や沖縄人がほとんど不在のなか白人男性たちが空手を教えあう設定に対して必然的に出てくる「文化の盗用」という批判を、おバカなジョニーに「なんだそりゃ?」と言わせることでスルーする、という豪胆さはすごい(実際、もともとの『』の時点でありきな作品なんだから、そこを掘り下げても誰も幸せになれない。そういう点ではシーズン3でダニエルが沖縄に行くくだりは余計でしかなかった)。シーズン1の大会で"意識の高い"が少年が被差別者たちのために黙とうするシーンもギャグでしかない。
……とはいえ、反ポリコレな作品であるかというとまったくそうでもない。結局のところ、自分が少年時代に犯したいじめをはじめとする男らしさの「罪」をジョニーに直視させつづけて、ミゲルたちへの指導やクリースとの対峙を通じて彼に「贖罪」をさせることが、この物語の最大のテーマであるためだ。