コブラは、対立するギルド宇宙軍元帥・サラマンダーを倒す行動を起こします。
平凡なサラリーマンとして生きるジョンソンが、自分が過去宇宙海賊コブラであったことを思い出す、この「コブラ」という作品全体の導入からはじまり、「キャプテン・ネルソンの財宝」にまつわる事件に巻き込まれるファーストエピソード。
そして「『コブラ』のように寺沢武一は復活します」とつづっていた。
ですが今回の報は、寺沢氏の戻らぬ旅立ちとなり、ファンたちが悲しく見送る形となってしまいました。筆者もまた、胸にぽっかりと空いた穴を苦しく見つめるばかりです。
このエピソードから登場するクリスタルボーイ、このデザインが秀逸。この巻のラストでコブラに破れますが、作者としても勿体ないと思ったのか、一回限りのキャラクターで終わらず今後も登場。コブラの最大のライバルにまで変貌します。
寺沢武一公式サイトです。コブラなど寺沢作品の情報をいち早くお知らせします。
どれだけ嘆いても、時は戻りません。そして、作者が去った後でも、作品は残り続けます。個人として失ったものの大きさを痛感していますが、ひとりのライターとしてすべきことは、寺沢氏の名作とその足跡をこれからも伝えること。その想いから、寺沢氏の代表作である「コブラ」の魅力や特徴などを、今回改めて紹介します。
2023年9月11日、漫画家の寺沢武一さんが亡くなったことが分かりました。68歳でした。
『コブラ』(COBRA THE SPACE PIRATE)は、寺沢武一の漫画作品。および作品内の主人公の名称。 コブラ
筆者もいちファンとして、各作品……特に「コブラ」を愛読し、のめり込んできた読者のひとりです。脳腫瘍といった大病で筆を置く時期もありましたが、そのたびに寺沢氏は必ず舞い戻り、素晴らしい作品を提供し続けてくれました。
マンガ『』の第1話は、海賊ギルドとの長年の闘いに疲れたが、顔を変え、記憶を消して平凡なサラリーマンとして生活していたにもかかわらず、「を駆使した夢(トリップムービー)」を観に行ったのをきっかけに、記憶が蘇る、というエピソードでした。
後日知ったのですが、映画『』の原作となった、の中編小説『追憶売ります』を元ネタにしていたんですね。
いまだったら、「パクリだ!」とネットで炎上しそうなのですが、1980年代の前半くらいは、海外SFはまだ日本では一部の好事家が嗜むもので、僕はその「未来感」に痺れたのです。
海外から輸入してきただけで、日本では新しかった、という時代でもあったのでしょう。
当時は、『LOGIN』などの雑誌で海外SFがよく紹介されていて、僕もJ・Pホーガンの『星を継ぐもの』くらいは読んでおかなくちゃな、と思って買ったものの、あっさり跳ね返されてしまった記憶があります。SFもこのくらいは「課題図書」だろうといろいろ手に取ってはみたけれど、当時の僕が「楽しめた」と言えるのはの『』と、の『』くらいだったなあ。
「コブラ」手塚が称賛したデジタル漫画の先駆け 寺沢武一展が開催中
寺沢さんは雑誌『週刊少年ジャンプ』で1978年から漫画『コブラ』を連載開始し、同作はアニメ化やゲーム化を果たすなど、大ヒット。
『』は、にかかわったヒロインたちがほとんど死んでしまったり(けっこうひどい殺されかたをしているケースも多いのですが、今から考えると、はひとりひとりの死をそんなに引きずっていないよなあ)、どんどん「進化」していく「最終兵器」の描写が出てきたり、寺沢先生は世界ではじめて「CG(コンピューターグラフィックス)でマンガを描いた」ことが話題になったり、いろんな記憶があります。
あの頃は、「CG」というだけで、すごいことをやっている!と嬉しくなったものです。僕が少年だったこともあって。
[1-3話]スペースコブラ(1982) 寺沢武一の大人気コミック ..
また、「BLACK KNIGHT バット」、「鴉天狗カブト」、「ゴクウ」、「武 TAKERU」、「GUNDRAGON」など様々な作品を生み出しながら、代表作とも言える「コブラ」の執筆も定期的に続け、2019年には「COBRA OVER THE RAINBOW」の連載を開始。長き生涯にわたり、熱意と意欲を持って漫画執筆を続けた作家でした。
「コブラ」寺沢武一の企画展が明日から、師匠・手塚治虫の記念館で
漫画「コブラ」の連載は、1978年に「週刊少年ジャンプ」で始まりました。当時の週刊少年ジャンプは、「キン肉マン」や「ドーベルマン刑事」などの人気漫画が活躍。また後続で「Dr.スランプ」「キャプテン翼」「キャッツ・アイ」なども登場し、大きな盛り上がりを見せます。
ブイチギルド 【寺沢武一作品公式】 (@BuichiGuild) / X
寺沢さんは北海道出身。1976年に上京して、手塚に師事。78年に独立し、週刊少年ジャンプでデビュー作「コブラ」の連載を始めた。左腕にサイコガンを仕込んだ宇宙海賊が星々を飛び回り、悪の組織を退治するストーリー。80年代からは作品制作にコンピューターをいち早く取り入れ、デジタルコミックという新たな分野を切り開いた。
SF漫画の金字塔『コブラ』を生み出した漫画家の寺沢武一(てらさわ・ぶいち)さんが9月8日、心筋梗塞で死去しました。
一方、銀河の果てで、かつてコブラに倒された強敵ブラックソード・ゼロが復活を遂げた……! 強さと優しさ、クールさを兼ね備え、左腕にサイコガンを持つスゴイ奴、宇宙海賊コブラの新たな冒険が始まる!!
【中面紹介】
「コブラ」の漫画家・寺沢武一さん死去、68歳 「デジタル漫画」先駆け、98年に脳腫瘍判明も創作続ける ..
寺沢さんの逝去を明かした、株式会社寺沢プロダクションは、このようにコメントをしています。
寺沢武一の『COBRA』完全新作も連載開始! オトナの男のための新WEBコミック誌「COMIC Hu」11月19日ついに創刊!
寺沢さんは1955年3月30日生まれ、北海道旭川市出身。
1976年に上京して手塚治虫さんに師事。手塚プロダクション漫画部所属中の1977年、「大地よ、蒼くなれ」が手塚賞の佳作に入選。週刊少年ジャンプに読み切りで「」が掲載され、マンガ家デビューしました。
翌1978年から「コブラ」は連載となり、1985年の連載終了までに全18巻が刊行されました。
SPACE ADVENTURE COBRAの作品一覧|寺沢武一
寺沢武一ファンのみなさまへ(訃報)
漫画家・寺沢武一は2023年9月8日に永眠しました。
3度の脳腫瘍の手術を経ても、コブラその人のような生命力で生き抜いてきた寺沢武一でしたが、今回は本人も不意打ちを食らってしまったのでしょう。心筋梗塞でした。…
かっこよ 不死身の英雄コブラ兄弟 が寺沢武一公認かるた ..
苦しい闘病生活と手術を乗り越え、生きるために闘っていたという寺沢さん。
COBRA 1巻|無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア|寺沢武一
寺沢さんは、浪人時代に投稿した漫画が入賞したことをきっかけに漫画界入り。1976年に上京して手塚治虫さんに師事し、手塚プロダクション・漫画部スタッフとして所属中に『大地よ、蒼くなれ』が、手塚賞佳作に入選。1978年に『週刊少年ジャンプ』で、デビュー作『コブラ』を発表、同年11月に連載を開始しました。
さらに、1980年代初めからPCでの創作に着目し、1992年『武 -タケル-』で世界初となる全編フルCG漫画を発表した寺沢さん。『デジタルマンガ』という名称を生み出し、以降『コブラ』『ブラックナイト・バット』のフルCG漫画、主人公のみ実写による『GUNDRAGONシグマ』などのデジタル創作作品を続々公開し、コンピューターを取り入れた漫画制作の先駆者として活躍しました。寺沢プロダクションによると、十数か国で翻訳出版されたコミックスの総発行部数は5500万部を超えるということです。
「コブラ」などを手掛けた漫画家の寺沢武一氏が心筋梗塞のため9月8日に死去 ..
いまの世の中では、68歳というのは「死ぬにはまだ早い年齢」なのですが、難病が見つかってから25年も闘病されてきたわけで、寺沢先生自身も海賊のようにタフな人だった、とも思います。
結局、『』だけだった、と言われるかもしれませんが、『』というキャターは、多くの人に愛され、憧れられてきたのは間違いなくて、『』を生み出しただけでも、寺沢先生は凄かった。僕もなれるものならになりたかったけれど、結局コブタになっちまいました。まあでも、マンガを読めば、これからもずっと、僕もの夢を見ることができる。
寺沢武一 原画展 ART of コブラとか。 □作者プロフィール
寺沢武一ファンのみなさまへ(訃報)
漫画家・寺沢武一は2023年9月8日に永眠しました。
3度の脳腫瘍の手術を経ても、コブラその人のような生命力で生き抜いてきた寺沢武一でしたが、今回は本人も不意打ちを食らってしまったのでしょう。心筋梗塞でした。…
SFハードボイルドマンガ『コブラ』の連載開始45周年を記念し、原作者・寺沢武一の正式な監修を受けた複製版画が登場。
心からお悔やみ申しあげます。デビュー時から大ファンです。コブラ、レディ、ドミニク……バット、ゴクウ、色々な素晴らしい人物達は今も心に生きています。アニメも映画も、何もかも好きで。沢山の夢と楽しみ、冒険をありがとうございました。先生の笑顔、Twitterで少しお話しできた事忘れません。
SF漫画の金字塔『コブラ』や『ゴクウ』などのヒット作で知られる漫画家・寺沢武一さんが8日、心筋梗塞のため亡くなったことが伝えられた。
寺沢さんの訃報に、SNSでは「漫画の制作にいち早くデジタルを持ち込んだ先進性など…余りにも早く逝ってしまわれた事が残念でなりません」といった声や、「ベテラン漫画家でありながら真っ先にデジタルに移行し挑戦、何もかもが圧倒的でした」との声が上がりました。
また、代表作である『コブラ』について、「コブラは男の憧れとロマン、冒険心を詰め込んだ理想像そのもの」という声や、「セリフが独特でセンス良くて最高にかっこよかった」「コブラみたいなセリフが言える大人になりたかった」など主人公・コブラのセリフに憧れた、との声が。SNS上では、コブラの名セリフを懐かしむ声が多数上がっていました。
『コブラ』寺沢武一氏のSNSに不適切画像 プロダクションが謝罪
寺沢武一先生がいないなんてまだ信じられません……。もっと長生きして、新作を読みたかった……お若すぎる。 タートル号で自由に宇宙を駆け回ってください、寺沢先生……。心からお悔やみ申しあげます。「コブラ」も「BLACK KNIGHT バット」も大好きだった。心からお悔やみ申しあげます。
兵庫県宝塚市の手塚治虫記念館で、宇宙海賊の活躍を描いた「コブラ」で知られる漫画家寺沢武一さんの企画展が開催中。2025年2月19日まで。
寺沢先生が亡くなられたという悲しみとともに、ああ、僕が押し入れのなかで読んでいた『』は、こんなにも多くの人に愛されて、憧れられていたんだなあ、とあらためて思い知らされました。